情熱大陸 6月30日 トレイルランナー 山本健一 [山本健一(トレイルランナー)]
情熱大陸 6月30日 トレイルランナー 山本健一 プロフィール 経歴
情熱大陸 6月30日 トレイルランナー 山本健一
6月30日「情熱大陸」は・・・トレイルランナー 山本健一
世界が注目する山岳レースの超人
160kmの山道を激走するのは高校の体育教師という素顔を持っています。
今注目のスポーツ「トレイルランニング」
めちゃめちゃ競技人口が増えているそうですね。
トレイルランニング
山道を走り抜けるアウトドアスポーツ。
そのなかでも、山本健一さんはすごいです!
不眠不休で100マイル(160キロ)を激走する過酷な山岳レースで、
昨年に、日本人として初めて海外の大会で優勝の快挙を成し遂げたました
この100マイルを激走るって・・・
フルマラソンを4回連続走ることに匹敵するのです。
かなりの激しい苦痛が伴うレースでも、笑顔を忘れない山本健一さんには、
たくさんのファンがいらっしゃるそうです。
今月は・・・スペインで開催される山岳レースに挑みます!
≪トレイルランナー 山本健一 プロフィール≫
山本健一(やまもと・けんいち)
生年月日:1979年(33歳)
出身地:山梨県
学歴;信州大学卒業
職業:高校教師(山梨県)
山岳部の顧問として生徒たちをインターハイ出場に導く。
家族構成:妻 娘2人
すばらしい実績
2012年:100マイルレース「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」
日本国内で初めて開催されたたのですが、
日本人最高の3位に入賞したのです。
2012年8月:のフランス「グラン・レイド・デ・ピレネー(ピレネー大耐久レース)」
日本人初の優勝というすばらしい成績を収めました。
≪トレイルランナーになったいきさつ≫
高校の体育教師をする両親のもとで、
幼少の頃から山遊びばかりしていた。
こんなエピソードがあります。
山本健一さんが、中学生のときに
ちょうど高校2年になる年に山梨県でインターハイがあるのを聞きます。
<何かで日本一になりたい>と考えるようになったそうなんです。
山本健一さんは、自分自身が何に向いているかまわりに聞いたところ・・・
高校の山岳部の監督をしている伯父さんから
山なら一位になれるかも知れないといわれて、
山やってみようかという決意が生まれたようです。
山が一番強い韮崎高校に進学し、山岳部に入部。
普段できないことも多く、とても山が楽しかったというのです。
山の楽しみを堪能しつつも、インターハイでの優勝も果たした山本健一さん。
冬場はアルペンにのめり込みます。
オリンピックを夢見てモーグル部のある信州大学へ進学しました。
信州大学時代は「モーグル」選手として活躍しました。
モーグルのトレーニングの一環として山を走る
その後・・・教員生活スタートから、あらたな道を切り開くのです
その後・・・山梨県の教員試験に合格したことから地元山梨へと戻ります。
雪とは離れて、身体を鍛えなくてはいけないし・・・
ということで、雪山を走ったところから環境が変わり、
緑の山を走ることになったそうです。
教員一年目でハセツネに出て、2000人位の参加者の中で20番台でゴールしたそうです。
そして・・・翌年にはトレーニングや道具も研究した結果、
タイムが1時間半くらい縮まったというのです。
しかし・・・ガツガツしすぎたせいか・・・
スキー時代からの古傷の半月板損傷をケガをしてしまい、1年間を棒にふってしまうのです。
ここで・・・山本健一さんは自分を見つめなおします。
手術がうまくいかず入退院を繰り返します。
焦ったりしましたが、たくさんの人からアドバイスをもらい、
ケガと向き合うのですね。
身体をケアしながら、身体の反応を見ながらトレーニングをすることがとても重要、
自分の身体の声を聞ことに気づいたというのです。
山本健一さん、復活!
翌年行われたハセツネでは・・・6位に入賞しました。
タイムも1時間以上縮まりました。
ケガが決してムダではなかったというのです。
自分に正直になって受け入れて、自分を見つめることが、
その後の山本健一さん自身を大きく成長することにつなげることができたのです。
結果だけにこだわらない
現在は、身体をケアできる時間をしっかり作り、
ただただ苦しい練習はやめにしたそうです。
厳しい練習もフレッシュな状態でできるようになった山本健一さん。
ケガの経験からも、身体のメンテナンスにも十分に時間をかけているというのです。
●トレイルランナー山本健一さんが使っているサングラスはどこのメーカーのものか?
など、山本健一さんに注目が集まっています。
オークリーのFlak Jacketあたりではないかと噂されています。
情熱大陸 6月30日 トレイルランナー 山本健一 プロフィール 経歴
情熱大陸 6月30日 トレイルランナー 山本健一
6月30日「情熱大陸」は・・・トレイルランナー 山本健一
世界が注目する山岳レースの超人
160kmの山道を激走するのは高校の体育教師という素顔を持っています。
今注目のスポーツ「トレイルランニング」
めちゃめちゃ競技人口が増えているそうですね。
トレイルランニング
山道を走り抜けるアウトドアスポーツ。
そのなかでも、山本健一さんはすごいです!
不眠不休で100マイル(160キロ)を激走する過酷な山岳レースで、
昨年に、日本人として初めて海外の大会で優勝の快挙を成し遂げたました
この100マイルを激走るって・・・
フルマラソンを4回連続走ることに匹敵するのです。
かなりの激しい苦痛が伴うレースでも、笑顔を忘れない山本健一さんには、
たくさんのファンがいらっしゃるそうです。
今月は・・・スペインで開催される山岳レースに挑みます!
≪トレイルランナー 山本健一 プロフィール≫
山本健一(やまもと・けんいち)
生年月日:1979年(33歳)
出身地:山梨県
学歴;信州大学卒業
職業:高校教師(山梨県)
山岳部の顧問として生徒たちをインターハイ出場に導く。
家族構成:妻 娘2人
すばらしい実績
2012年:100マイルレース「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」
日本国内で初めて開催されたたのですが、
日本人最高の3位に入賞したのです。
2012年8月:のフランス「グラン・レイド・デ・ピレネー(ピレネー大耐久レース)」
日本人初の優勝というすばらしい成績を収めました。
≪トレイルランナーになったいきさつ≫
高校の体育教師をする両親のもとで、
幼少の頃から山遊びばかりしていた。
こんなエピソードがあります。
山本健一さんが、中学生のときに
ちょうど高校2年になる年に山梨県でインターハイがあるのを聞きます。
<何かで日本一になりたい>と考えるようになったそうなんです。
山本健一さんは、自分自身が何に向いているかまわりに聞いたところ・・・
高校の山岳部の監督をしている伯父さんから
山なら一位になれるかも知れないといわれて、
山やってみようかという決意が生まれたようです。
山が一番強い韮崎高校に進学し、山岳部に入部。
普段できないことも多く、とても山が楽しかったというのです。
山の楽しみを堪能しつつも、インターハイでの優勝も果たした山本健一さん。
冬場はアルペンにのめり込みます。
オリンピックを夢見てモーグル部のある信州大学へ進学しました。
信州大学時代は「モーグル」選手として活躍しました。
モーグルのトレーニングの一環として山を走る
その後・・・教員生活スタートから、あらたな道を切り開くのです
その後・・・山梨県の教員試験に合格したことから地元山梨へと戻ります。
雪とは離れて、身体を鍛えなくてはいけないし・・・
ということで、雪山を走ったところから環境が変わり、
緑の山を走ることになったそうです。
教員一年目でハセツネに出て、2000人位の参加者の中で20番台でゴールしたそうです。
そして・・・翌年にはトレーニングや道具も研究した結果、
タイムが1時間半くらい縮まったというのです。
しかし・・・ガツガツしすぎたせいか・・・
スキー時代からの古傷の半月板損傷をケガをしてしまい、1年間を棒にふってしまうのです。
ここで・・・山本健一さんは自分を見つめなおします。
手術がうまくいかず入退院を繰り返します。
焦ったりしましたが、たくさんの人からアドバイスをもらい、
ケガと向き合うのですね。
身体をケアしながら、身体の反応を見ながらトレーニングをすることがとても重要、
自分の身体の声を聞ことに気づいたというのです。
山本健一さん、復活!
翌年行われたハセツネでは・・・6位に入賞しました。
タイムも1時間以上縮まりました。
ケガが決してムダではなかったというのです。
自分に正直になって受け入れて、自分を見つめることが、
その後の山本健一さん自身を大きく成長することにつなげることができたのです。
結果だけにこだわらない
現在は、身体をケアできる時間をしっかり作り、
ただただ苦しい練習はやめにしたそうです。
厳しい練習もフレッシュな状態でできるようになった山本健一さん。
ケガの経験からも、身体のメンテナンスにも十分に時間をかけているというのです。
●トレイルランナー山本健一さんが使っているサングラスはどこのメーカーのものか?
など、山本健一さんに注目が集まっています。
オークリーのFlak Jacketあたりではないかと噂されています。
情熱大陸 6月30日 トレイルランナー 山本健一 プロフィール 経歴
2013-06-24 18:36